あるでばらんができるまで。中村ふみ編


子供の頃から体が弱かった私は、化学繊維や化学染料が肌に合わない過敏症でした。
元気になりたいという気持ちから、健康という言葉にも敏感に反応していたと思います。
できるなら薬を使わず体質を改善したい。
その当時はまだ インターンネットも使っていなかったので、
全て口コミの情報を頼りに、自然療法や民間療法にも積極的に取り組んでいました。
そんな頃出会ったのが、冷え取り健康法です。

シルクとコットンの靴下重ね履きは今でこそ有名な健康法になりましたが、その当時は一部の人が実践されているような、まだまだ一般的に知られていないものでした。
その当時、5本指靴下でさえもまだ珍しいものだったんです。
どうにか見つけてきたシルクの5本指靴下を使って重ね履きをしばらく続けてみると
徐々に冷えが良くなって、身体も少し楽に感じるようになりました。
いろんな健康法との相乗効果や生活改善からよくなったこともあるかもしれませんが、肌に触れるものがこれほど大切だとは思ってもみませんでした。

でも、問題はその靴下。
毎日履いて洗ううちに、次第に黄ばんでいくのが気になったのです。
そうだ、染めてみたらどうかしら、と思いついたのが薬効手染の始まりだったと思います。

私の染色との出会いは、それよりもずっと前、私が小学生の頃にさかのぼります。
ひょんなことから機織りに興味を持ち始めた私は、中学1年の時には「草木染め」という一冊の本を手に入れました。
そんな折、岡山の倉敷民芸館の中に染め織り研究所があることを知ります。
直ぐさま「私も入れてください。」とお願いしたのですが、中学生だった私は「高校生になったらいらっしゃい」と入所を断られてしまいました。
ただ、私はその言葉を忘れてずにいて、高校2年生の時に改めて願書を出しに行ったのです(笑)。
でも、ようやく入れてもらえたのは20才の時でした。


染め織り研究所では約1年間機織りの勉強をさせていただきました。
機織りは、材料である糸を染色する事から始ります。ここで念願の草木染めを習いました。
今思い出しても嬉しくなるような、とっても充実した毎日でした。
そこでは、織りの技術的なことだけでなく、民芸運動の作品や「実即美」という考え方にも触れ、
現在の私の「もの」に対する基本姿勢を学べた大変貴重な経験となりました。

しかし1年の研修生活を終える頃、突然父が亡くなり、急遽家業を手伝わなくてはいけなくなります。
機織りどころではなくなってしまったのです。
そんなわけで、研修の修了直前に注文していた機織り機は、長い間部屋の片隅で眠ることに。
少しずつ使うことができるようになるまでには、5年以上の月日が流れていました。

白い5本指靴下がきっかけで、染めを再開することになったのは、それから数年後のこと。
染料に使うのは自然なものだけにしようと、近くの山でいろいろな草木を探しました。
染めの楽しさにまた目覚めってしまった私は、繰り返し、繰り返しいろんなものを染めました。
しばらく染めを繰り返していくと、色だけでなく温度や匂いや味といった、その細かな変化にも気が付くように。
くすんでいたような色が、透明感を増した色合いに変化していくのです。
きっと染めている過程で、植物から湧き出るエネルギーを自分の五感を通して感じることができるようになったのだと思います。

また色々な植物を染めてみて、植物が違うと温かさや心地よさに違いがあることにも気が付きました。
靴下などは足裏のツボにも関係しているのかしら、履き続けると空いてしまう穴の位置も染めによって違ったりして。
昔から言われる薬草の効能というのは、本当なんだなと実感しました。身体への働きかけも違うのですね。

最初は自分だけのために染めていたものが、次第に友人などから評判となって、展覧会を開催したり、ご注文を頂くようになりました。子供の頃からの夢が実現していくようでした。

またその頃には、自分自身にも大きな出来事がありました。子宮摘出の手術を経験したのです。
この経験から、女性に同じような悲しみを味わって欲しくないという想いが生まれ、シルク布ナプキンを開発することに決めました。
これまでは自身の健康に役立つものを染めていましたが、布ナプキンだけは私が唯一、使っていないもの。
でも一番想いが強いアイテムなのかもしれません。

2003年に夫と共にあるでばらんを設立してからは、薬効手染製品を製造販売しながら日本各地を訪問し、肌に触れるものの大切さや、布ナプキンの啓蒙活動にも取り組んでいます。

染めることは、草木の光と命を布に重ねること。
色は光だと思っています。
そして、人も草木と同じように、それぞれの色、光を持っています。
その色が少しでも足りなくなった時に、あるでばらんの製品があなたの色を補う一助になれば本当に幸せです。